──56歳の僕が、勝つことをやめて楽になった理由
結論
この社会は、最初から不公平な「無理ゲー」だ。
だから僕は、勝とうとするのをやめた。
橘玲さんの著書『無理ゲー社会』を読んで、
ずっと言葉にできなかった違和感が、はっきりした。
「頑張れば報われる」
「努力は裏切らない」
そう信じてきたけれど、
現実は、そんなに優しくない。
理由
なぜ社会は「無理ゲー」なのか。
理由はシンプルだ。
- 生まれ持った能力
- 知能
- 性格
- 努力できるかどうか
これらの多くは、本人の意思ではなく、遺伝や環境でほぼ決まっている。
それなのに社会は、
「能力がある人」
「結果を出した人」
だけを評価する仕組みになっている。
つまりこの社会は、
スタート地点が違う人たちに、同じルールで競争させるゲームだ。
それはもう、努力論ではどうにもならない。
具体例①
人生はレベル1から始まらない
ゲームなら、全員レベル1から始まる。
でも人生は違う。
- 生まれた瞬間にレベル100の人
- 何も持たずに始まる人
がいる。
この差は、努力で埋められるものではない。
それでも僕たちは、
「努力が足りない」
「もっと頑張れ」
と言われ続けてきた。
苦しくなるのは、当たり前だと思う。
具体例②
努力できる人と、できない人
さらに残酷なのは、
「努力できるかどうか」自体も才能だという事実だ。
- 継続できる
- 我慢できる
- モチベーションを保てる
これらも性格特性であり、
誰にでも同じように備わっているわけじゃない。
「努力できない人」を責める社会は、
そもそも前提が間違っている。
具体例③
お金が平等になっても、競争は終わらない
仮に将来、
- ロボットが働き
- お金が十分に配られ
- 生活が保障される
社会が来たとしても、問題は終わらない。
次に始まるのは、
評判・見た目・人気による競争だ。
お金は分けられても、
「選ばれる立場」は分けられない。
社会が豊かになるほど、
一部の人に集中する構造は、むしろ強まる。
僕が選んだ結論
勝つのをやめる、という選択
この本を読んで、僕ははっきり決めた。
「無理ゲーのメイン戦場では戦わない」
- 若さ
- 営業力
- 承認欲求
- 評判競争
これらが支配する場所から、静かに降りる。
代わりに選んだのは、
- 競争が少ない分野
- 派手さのない仕事
- 必要とされる人にだけ届く価値
訪問マッサージや、文章を書くこと、
静かなBGMを作ることも、その延長線にある。
最後に
勝たなくていい人生もある
僕はもう、
「上を目指す人生」を選ばない。
でもそれは、諦めではない。
壊れない人生を選んだだけだ。
- 生活できる収入
- 静かな時間
- 少ないけれど大切な人間関係
- 自然や音楽を楽しめる余白
無理ゲー社会で生きるなら、
勝者になる必要はない。
詰まなければ、それでいい。
この記事を読んでいるあなたへ
もし今、
- 頑張っているのに報われない
- 自分だけ遅れている気がする
- もう競争に疲れた
そう感じているなら、それはあなたのせいじゃない。
この社会のルールが、そもそも厳しすぎるだけだ。
無理なゲームから、降りてもいい。
自分に合った難易度で、生き直していい。


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